時代は「キャッシュレス」の傾向が進んでいて、また街角に置かれている自動販売機もキャッシュレスです。決済を終えると「ありがとうございました」のアナウンスが流れます。
買う者、売る者が、お互いに「ありがとう」と声をかけ合い、店頭で世間話をする関係にこだわっている私は、人間味が失われつつあるこの傾向を残念に思います。
家庭での人間関係はどうでしょうか。親より優先して子どもたちには個室が与えられて、個人のプライバシーは守られていることは、子どもたちにとっては「逃れ場所」が確保されているという意味で、望ましいことと言えるかも知れません。
しかし、家族が毎朝家を出る時間や、家に帰ってくる時間がまちまちであるために、家族が一緒の空間でくつろぎ、ゆったりとした時間を楽しむことのできない家庭が多くなってきました。
住む場所としての家(house)は持っていますが、家族の絆を確かめ合う大切な居場所としての家(home)がどんどん失われつつあることにわたしは危惧を抱いています。家族とは名ばかりで、人間味のない自動販売機の集まりのような家族も少なくありません。
父親という機械はお金を出すだけ、母親という機械は「早くしなさい」「勉強しなさい」などと、朝から晩まで同じやかましい音を出すだけになりがちです。
機械で人間の「こころ」は育ちません。テレビ、ファミコン、CD、DVDなどがどんなに教育的なものであっても、人間のこころを豊かに育てることはできません。子どもを育てるのは子どもと関わる周囲の人間であり、直接的には親が子どもを育てる大きな役割を担います。人間関係・親子関係は自動販売機のように一方的であってはなりません。子どもを教えることによって教えられ、子どもの成長とともに親も成長させられていきます。
小学校に入ると、子どもたちは見違えるように成長し、変化していきます。子ども達は自分達の変化・成長のために、意外な行動をとることがあります。
時には周囲の大人や親に無茶苦茶な要求をつきつけてきて、その要求がどの程度通るものなのかを試すことがあります。その行動の背後には、自分が受け入れられている器(家庭、学校、社会等)はどれくらいの丈夫な器なのか、その強度を試そうとする無意識の心理が働いています。
そんなとき、周囲の大人達はひるむことなく、子ども達の前に手を広げて、壁となって立ちはだかってください。子ども達の行動が度を過ぎないようにとの思いをいだき、暖かい血が通った壁として守ってくれる相手がいることはとても大事なことです。そんな相手や壁があってこそ、子ども達は安心して思い切り自分達を表現することができます。
大人達が子ども達の気持ちから離れることなく、正面に向かい合い、壁としての役割を果し続けることは随分とエネルギーのいることですが、子ども達は自分に向けられているエネルギーの「強さ」と「暖かさ」と「真剣さ」には敏感です。
周囲の大人が壁として立ちはだかるエネルギーと労力を惜しんで、「子どもの自由を尊重する」という詭弁で子どもの理不尽な行動や主張を見逃したり、あるいは物やお金や杓子定規の規則で壁の代用してしまうと、子どもは「自分は本当に守られていない」と思い、不安や疑いを抱きます。
本当の意味での自由を子どもに与えるには、大人の側は相当のエネルギーを要するのです。
子ども達が小学校、中学校の時期にこそ、エネルギーと労力を費やして、大いに子どもたちと関わっていただきたいと思います。
子どもが本当に欲しいものは、自分に対してエネルギーと労力を費やして真剣に関わってくれる大人の存在です。
子どもの問題、夫婦の問題、対人関係等、自分ひとりで背負うにはあまりにもしんどくなったときに、「チャプレン」を思い出してくれると嬉しいです。
こころの問題は複雑なので、名探偵コナンのように難問題を快刀乱麻のごとく解くことはできませんが、ご一緒に悩みながら寄り添うお手伝いをさせてください。
勝山幼稚園チャプレン 武井 義定